一歩を踏み出す (中)
1969年、女子登攀クラブを設立した。まだ女性の登山家が数少ない時代、女たちだけで海外遠征を目指すことは、大きなチャレンジだった。メンバーを集めるとき、「エベレストへ一緒に行きませんか」と呼びかけた。みな目を輝かせるが、次の瞬間、目を伏せる。仕事が、家庭が、子どもが、お金が……。実現できない理由を並べて、去っていく人が多かった。
たしかに海外遠征をするには、本物の山に登る前に、いくつもの問題を乗り越えなければならない。数ヶ月遠征するとなると、仕事も家庭も大変。特に、高額な入山料をどう工面するかは大問題だ。実現できない理由はたくさんある。海外遠征登山は、日本での準備段階からすでに難ルートなのだ。それでも、田部井さんは、どうしたら実現できるのか考えながら、一歩踏み出していく。
ようやくネパールまでたどり着くと、山の過酷さが待っている。酸素の薄い高地に体を慣らさなければならない。集団生活で、精神的にもきつい。ちょっとしたことで苛立ち、いさかいの種に発展することも少なくない。山での人間関係は、社会の縮図なのだという。
そのうえ、自然の猛威は直に感じる。エベレストでは、第2キャンプが雪崩に遭った。なんと、田部井さんら6人のテントは流され、雪に埋もれてしまった。意識を失う寸前に頭をよぎったのは、娘のことだったという。夫と2歳の長女を日本に残してきていた。
偶然、雪崩を逃れたシェルパたちに雪の中から救出された。全員、助かった。骨折をしている人もいなかった。体を動かすことができなかった田部井さんがいちばん重症だった。
ベースキャンプにいる隊長は、「下りろ」と言う。副隊長の田部井さんは、だれも怪我をしていないのだから、登るべきと主張する。
雪崩に遭ったのだから、本来なら萎縮してしまってもいいはずだ。それを「登る」と主張したのはなぜか、ぼくは、その理由を尋ねた。
「下りるほうが危険と判断したのよ。みんな雪崩のショックで興奮状態だった。途中にあるアイスフォールの滝のような壁を下りるほうがリスキーだと思った」
登るより下りるほうが危険。これは、一般的に素人には考えづらい。でも、これが登山家の現場感覚なのだ。実際に、エベレストでの遭難の多くは、下りで起こっている。
田部井さん自身も、数日休めば必ず動けるようになると確信していたようだ。自分がいちばん重症なら、ほかの人は大丈夫、登れると判断した。
この冷静な判断が、エベレスト登頂成功という結果につながっていく。人生には大事な「一瞬」というのが、間違いなくある。彼女の「一瞬」は、このときだったかもしれない。
- プロフィール
- 鎌田實 かまたみのる
- 誕生日:1948年6月28日
- 諏訪中央病院名誉院長
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