自分のなかの力を引き出す
行動変容の専門家に会った。精神科医の足達淑子。福岡県太宰府市で、あだち健康行動学研究所を開設 している。行動療法を健康増進や生活習慣病の予防などに応用する研究をしている。東京医科歯科大学のぼくの後輩でもある。
「鎌田先生の『がんばらない』や『あきらめない』などでおっしゃっていることは、行動変容に通じるように思います。がんや生活習慣病など、さまざまな病気にはストレスがかかわっています。ですから、最近は、ストレスコーピングというアプローチが必要といわれています」
足達はそう口火を切った。
コーピングとは、対処するという意味。たとえば、騒音というストレスを感じたとき、対処できるものとできないものがある。対処できない騒音には、対処することをあきらめ、ほかに楽しいことを考えるなど、意識転換することが大事だと足達は言う。
「あきらめてもいいんですね」とぼくは念を押した。
「あきらめるというのは、できることとできないことを明らかにするという語源から来ています。がんばっても仕方ないということが明らかならば、あきらめて無駄な努力をしないことも一つの選択です」
いいなあと思った。後輩とは、気が合いそうだ。
ぼくは、足達の言葉をこんなふうに解釈した。たとえば、がんの手術をした後、これで完治するのか、再発するのか、患者さんは不安に陥る。大きなストレスが押し寄せる。その場合、自分のなかにあるパワーを信じて、ナニクソと思ってもいいし、パワーがないと感じたときには、そこから少し逃げて、違うことに夢中になってもいいのだ。
行動変容に大切なのは、意志の強さや動機付けだと思われている。もちろん、それも大切だけれど、足達は「気分というあやふやな心のあり方が大事だ」と言う。気分が変われば、考えが変わる。考えが変われば、行動も変わる。
たとえば、病気と闘うために生活の仕方を変えなければならないとしよう。その人はいくら頭では理解していても、なかなか行動は変えられない。でも、いい景色を見てふっと心が緩んだり、人とおしゃべりをして、気が楽になると、何となく、病気と闘う前向きな気持ちがわいてくる。具体的な行動を変えるためには、まず気分を変えることが大事なんだ。
具体的な提案も大事だ。たとえば、鎌田は、36年前、地域で脳卒中を減らす減塩運動を行った。減塩の必要性を説明するだけではうまくいかない。その後、どうしたら塩分を減らせるか、具体的な方法を示す必要がある。たとえば、漬物にはしょうゆをかけない、豆腐もしょうゆをかけずに、小皿に入れたしょうゆに、ちょんと一角だけつけて食べる。そういう、生活に根ざした具体的な行動まで落とし込むことが大事なのだ。
「行動変容のスタートは、問題となる行動を具体的に取り上げることです。そして、どこがいいか、どこが悪いかを人格的には関係なく、実際の生活のなかで具体的に指摘することが大事です。人格には直接触れないで、その人が今困っていることをどうしたら解決できるか、一緒に考えることです。ですから、相手は傷つかない。非常に実践的な考え方です」
行動変容の専門家の言葉は、とてもわかりやすい。
ぼくはこの連載で、生活習慣病を予防、改善するために、生活の仕方をちょっとだけ変えてみよう、と呼びかけてきた。行動変容法のコツをつかめば、人生も変えることができる、と思っている。でも、行動変容は魔法ではない。あらためて行動変容とは何だろうか。
足達はこう答えた。
「英語でchangeというのは、別のことをするというイメージですが、私はmodificationという言葉を使います。これは自分のなかにある違うものを引き出すというイメージです。つまり、行動変容とは、全く違う自分になるということではなく、自分のなかにあるものを引き出すことなのです」
おっ、と思った。そうか、後輩、なかなかいいことを言うな。自分のなかにある秘められた力を、自分で気づいたり、だれかに気づかせてもらったりすることが、行動変容のはじまりなんだ。
ぼくは18歳のとき、自分の貧乏な生活から脱出するために、朝4時半に起きるという行動変容をした。
どうして行動変容に成功できたのか、考えてみた。ぼくは、友だちから遊ぼうと誘われると断れない性格だ。義理人情に弱い。でも、夜明けの時間は友だちからは誘われない。だから、朝4時半に起きて、自分の時間をつくろうと決めた。この時間、必死で医学部受験の勉強をした。
受験に成功すると、多くの人は生活スタイルが元に戻る。でも、ぼくはこれが身についたのである。受験が終わった後も、朝型人間が続いた。この時間に、小説や詩を読んだ。一冊の本を何十回も繰り返し読んだ。詩や映画のシナリオも書いた。医学の勉強もした。
こういう朝の時間を、ほぼ43年間続けている。もちろん、ときどき疲れが取れず、起きられないこともある。でも、一日起きられなかったからといって、もうやらないという気持ちにもならなかった。起きられなかったときはしょうがないと思い、とにかく、ずるずる、だらだらと、大きな流れは変えずに、現在までやってきた。
今から思うと、この、ずるずるがいい。完璧主義は徹底的にやるが、ちょっとつまずくと止めてしまう。だらだらが大事だったのだ。
「行動変容をするということは、ライフスタイルが変わるということです」と足達は言う。
旅が多い鎌田だが、どこに行っても朝4時半起床は変わらない。おかげで各地の美しい日の出が楽しめる
たとえば、カロリー制限をしようとする。そのためには、食事を変える必要がある。食事を変えようとすれば、買い物や一日の過ごし方など暮らし方を変えざるを得なくなる。
足達自身も、通勤時間を利用して、歩くようにした。そうすると、テレビを見る時間が減った。行動変容を起こすことによって、ライフスタイルが変わっていく。
後輩と話をしているうちに、気が付いたことがある。行動変容の体験は、それがどんなに小さな行動変容でもそれだけにとどまらない、ということだ。
長年、たばこを止められなかった人が禁煙に成功すると、それだけで終わらずに、家族との関係がよくなったりすることをぼくは見てきた。健康づくりのために散歩を続けられるという行動変容ができた人は、自分の強さを確認できる。その自信は、人生の修羅場を体験したときに大きな力になるはずだ。
ますば、小さな行動変容をまず起こしてみよう。いつか人生が大きく変わったことに気づくときがくると思う。
- プロフィール
- 鎌田實 かまたみのる
- 誕生日:1948年6月28日
- 諏訪中央病院名誉院長
詳しいプロフィールはこち ら


