2010年1月24日 -- 医療 --

謙虚に生きる

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 2008年9月、かわいそうな事件が起きた。子どもをほしいと願う女性が、体外受精を試みた。体外 受精は成功した。受精卵は見事におなかで育ちはじめた。喜んでいたのもつかの間、他人の受精卵であることがわかった。悲しみのなかで、人工中絶をした。許せない凡ミスである。

 本来、受精卵を扱うときには、医師と専門技師とでダブルチェックをしければならないのに、医者がすべて一人で行っていたらしい。医師のなかには、職人気質のタイプがいる。一匹オオカミ。アイ・アム・ナンバーワンと過信しがちだ。この悲劇は、基本的なダブルチェックを怠ったために起こった。しかも、一つの机の上に、ほかの人の受精卵を置きながら、操作をしていたという。香川県にある病院でのミスである。

 人間はミスをする動物である。どんなに優れた人も失敗をする。それが人間。ミスをなくすことはできない。少なくするだけ。

 だからこそ、命にかかわる医療者は行動変容が必要。常に謙虚でありたいと思う。失敗しても、取り返しのつかない状況にしないために、何度もチェックが必要なのだ。「神の手」に近い操作をするときには、慎重であるべきだ。

 病院側は、「ミス」といって、陳謝すればすむが、女性にとってはたまらない。母になる喜びを一瞬にして奪われたのである。しかも、少しの間、自分の胎内で育ちだした子どもを人工中絶する。赤ちゃんだってたまらない。体外受精で無理矢理生み出され、人工中絶で殺される。赤ちゃんだって、こんなことを思っているかもしれない。

 「いいかげんにしてよ。私の命をもてあそばないで」

 こんなことを見させられると、科学の進歩が悲しいものになる。科学を暴走させないためには、科学をコントロールする哲学が必要。

イラクの難民キャンプで生活する腎不全の青年。人工透析できる病院が遠く、通院できないために、腎臓移植手術を待っている。手術の費用はぼくたちが活動するNPO法人JIM-NETが支援する予定。

 2006年6月アメリカのイリノイ州でも事故が起きた。腎移植をする患者が、すべて準備を終えて手術台で待っていた。あとはドナーの腎臓が届くのを待つばかり。そこに届いたのは、なんと心臓だった。臓器の斡旋機関が、ラベルを貼り間違えたのが原因だったという。

 腎臓移植の手術のために、時間を合わせて臓器を取り出そうと待っているところに、臓器が届き、ふたを開けたら心臓が出てきたというのだから、手術室の医師たちも、さぞびっくりしたことだろう。

 臓器の斡旋機関に注文を出して、臓器を届けさせるシステムというのは、じつに合理的だ。あまりにも合理的であり、何か滑稽なシステムのようにも思 えてしまう。不謹慎ではあるが、電話一本で注文する、宅配ピザにどこか似ている。便利といえばたしかに便利になったのかもしれないが、これを進歩といって いいのであろうか。

 腎臓を待っている人に腎臓が届けば、これこそ科学の進歩の恩恵と思って、何も疑わない。命について深く考えることもなく、現実に流されていく。

 だが、その科学の進歩の恩恵も、危ういバランスのうえに成り立っていることを、これらの事故は物語っている。体外受精や臓器移植など自然に与えられた人間の能力を超えるようなことをするときには、特に謙虚さを忘れてはならない。

 2009年には改正臓器移植法が成立し、「脳死」が一律に「人の死」と位置づけられ、15歳未満の子どもからの臓器提供ができるようになった。

 急激な進歩を続けざるをえなくなった、21世紀という時代のなかで、ぼくたちは「謙虚さ」という言葉をかみしめないといけない。

[看護師希望]さん、ぼくが出たテレビ番組やブログを見てくれて、ありがとうございます。看護専門学校に合格することを祈っています。

[りす]さん、病気になってから、ぼくの本を何度も読んでくれたとのこと。お役に立てればいいと思います。鉄三郎さんのことは、ぼくの父、岩次郎と 兄弟のように思っております。その娘さんがよくなることを、ぼくも祈っています。あたたかい読み方をしていただき、ありがとうございます。

 【訂正】当初、文中で「人工授精」とあった部分は「体外受精」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。


プロフィール
写真
鎌田實 かまたみのる
誕生日:1948年6月28日
諏訪中央病院名誉院長
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