2009年7月 5日 -- 心の病 --

(最終回)読者から反響2000通…「信頼の医療」へ書き続ける

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本田 麻由美記者

がん対策推進協議会の患者・家族委員らと打ち合わせをする本田麻由美記者(右から2人目)(24日、東京・霞が関で)=菅野靖撮影

 コラムを書くのは、半年ぶりになる。昨年12月28日に99回目を掲載した後、今年に入って休載が続き、読者の皆さんや知人らから、問い合わせのメールなどをたくさんいただいた。実は、年末に「うつ病」と診断され、休まざるを得ない状況だった。先月からようやく職場に復帰、少しずつ仕事を始めている。皆さんにご心配をおかけしたことを、まずおわびしたいと思う。

 うつ病で休業

 「立派にうつ病の範ちゅうに入っていると思いますよ」。都内の心療内科クリニックで、担当の山田康医師にそう告げられたのは、昨年11月末のことだった。

 1~2年前から、体がだるく何をするのもおっくうで、不眠に悩むようになっていた。乳がんの定期検査のたびに思わしくない結果が出たりして、ストレスや疲労が蓄積しているせいだと思っていた。

 それが、昨年10月ころから、経験したことのない症状が表れだした。肩や腕が地面にのめり込むように落ちていく感じで力が入らない。少し休んでも改善せず、起き上がれない日もあった。異変に気づいたデスクの勧めで、クリニックで診断を受けた。

 「うつ、だったんですか……」。そうつぶやく私に、山田医師は「仕事を休んで、何も考えず過ごすのが一番」と提案した。長期間の休みを取ることには抵抗があったが、抗うつ剤を服用しても状況は大きく改善せず、結局1月末から休むことになった。

 休んでいる間は、起きることも風呂に入ることもできず、一日中ボーッと座ったままの日が何日か続いた。罪悪感でめいったが、力強く「それでいいの!」と肯定してくれる山田医師に救われた。家族も同僚も辛抱強く見守ってくれたおかげで、3か月ほどで職場に戻ることができた。

 躁的防御

 国立がんセンター東病院の内富庸介医師らによると、がん患者のうつ病有病率は、予備軍とも言える適応障害をあわせると、15%~40%に上る。

 ただ、がん患者のうつ病は、告知の直後や、3~5か月たったころ、再発時などに多いとも聞いた。私の場合、なぜ手術から7年もたってからなのか。職場復帰の相談をした産業医の吉田勝明医師は、背景に「(そう)的防御」という心の作用があると説明してくれた。

 2002年5月に34歳で乳がんを告知されてから、1年のうちに〈1〉乳房温存手術〈2〉がんの広がりが分かり全摘手術〈3〉局所再発が見つかり 部分切除手術――と3度の手術を受けた。ショックは大きかったが、「生きるための闘いに全力で挑もう」と行動することで不安を封じ込めようとした。納得して治療を選択するため主治医らと議論し、乳がんとその治療法の勉強に全神経を集中させた。

 抗がん剤や放射線の治療を受け、ホルモン療法に切り替わったころ、今度は卵巣がんの疑いを指摘された。乳がん再発をにおわせる検査結果も続いた。自分の死が足音を立てて迫ってきたような恐怖にとりつかれ、それを振り払うかのように、03年4月から、このコラムの前身「患者・記者の視点」の連載を始めた。

 医療・介護を取材してきた記者として、「患者になって初めて見えたことを書かずには死ねない」と、気持ちを高揚させた。未承認薬の早期承認や医療水準の地域格差解消を訴える患者仲間と出会ったのも、このころだ。同じ目的意識を持ち、彼らの訴えやがん医療の問題点を書き続けた。

 「何度もカンフル剤を打って頑張ってきたんだね」。吉田医師はそう言い、「でも、それは見せかけの元気。いよいよ心のエネルギーが枯渇してしまったんだ」と付け加えた。人は重大事態に直面すると「否認→怒り→不安と抑うつ→受容」という道をたどるという。だが私は、自分を躁状態に置くことで抑うつ状態に陥るのを防ぐ、という行動を繰り返した。その結果、治療の副作用の影響もあり、疲れ切ってしまったらしい。今回、うつ症状で休んだことは、私自身が やっと「受容」に進むためのステップだったのかもしれない。

 生き方の選択

 闘病を振り返って痛感するのは、「治療の選択は生き方の選択」ということだ。私の場合、より効果の高い治療を選ぶのは、妊娠・出産をあきらめるにも等しいことだった。子供を持たない人生を受け入れるかどうか。結婚4年目の私にはつらい選択だった。

 今でも「乳がんなんかにならなかったら」と思うことがある。仕事でも家庭生活でも充実したはずの30歳代の大半を「がん」に占領されたことは悔しい。だが、得たものも少なくない。04年4月に始めたこのコラムも、100回まで続けることができた。これも、読者の皆さんの応援と、取材でお世話になった患者さんや医療関係者、同僚、家族らのおかげだと感謝している。中でも、2000通を超える読者からのお便りは、私の生涯の財産だ。

 今回でこの連載は終えるが、私の闘病は続く。また、治療法が進歩したとはいえ、がんは依然、日本人の死因のトップだ。06年6月には患者たちの声を反映した「がん対策基本法」ができて、医療体制の整備は進んでいるが、適切な医療・ケアを受けられずにさまよう“がん難民”の問題など、残された課題も多い。

 「信頼の医療」を築くには、患者と医療・行政関係者の協働作業が欠かせない。その実現に向け、専門記者として、そして1人の患者として、力を尽くしていきたい。長い間、ありがとうございました。

2009年6月28日  読売新聞)

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